信じる者しか救わない神様は”セコイ☆”のか…?
20数年前、よくB’zの曲を聴き、歌っていた。
最近、古いCDを引っ張り出して、懐かしく、ノリノリでB’zの曲を聴いていたら、曲の中に「信じる者しか救わないセコイ神様拝むより僕と一緒に…」という一節があった。
かつて聴いていた時には気にならなかったが、今はちょっとひっかかった。
はたして、神様は、信じる者しか救わないのか…? もしくは、神様は信じるものは救うのか…?
考えていたら、ある考えに行きついた。
”信じる者”とは、ただ単に、”神様、仏様の存在を信じる者”ではなく、”神様、仏様の教えを信じて実践した人”ということではないか?
神様、仏様を信じる人だったら、たぶん、神様、仏様の教えも守ろうとする。例えば、”隣人を愛せ””利他に尽くす”など、神様、仏様の教えの中にある幸せになるための原理原則を努力し、実践しようとする。
そして、その実践により、人徳を積み、人望を集め、成功する、幸せになる力(徳力)を自ら蓄えていくのではないか?
つまり、”信じる者”を神様、仏様が救うということだけでなく、”信じて実践”した人が、自らの努力を通じて成功する力、幸せになるための力を蓄え、神様、仏様からも愛され、幸せになっていく…。
つまり、自分の努力、自力と大いなる力を持って、成功していく。
結果的に「信じて実践した者は救われる」=「信じる者は救われる」ということではないかと思った。
”神様、仏様の存在を信じる人”というより、”神様、仏様の教えを信じて実践した人”が救われるという、素直さ、実践の大切さを改めて思った。
そして、信じる人は、神仏への感謝も深め、さらに幸せを感じる心、幸せに気づく心も大きくなるのだと思う。